ポップコーン

朝から友人にLINEで昨日の会話の続きの返信をする。夫は何してたの?みたいな話。夫は最近見かけてないなあと返す。さながら絶滅危惧種のよう。友人宅は家事も育児もそこそこ分担をしているホワイト家庭。いいなあ。我が家はかつてのワタミ並みにブラックだ。

 

今日もいつも通り保育園をさぼる。来週から幼稚園なので、保育園に行ける機会は今日で最後なのだけれどやはり休みたかったようだ。仕方ない。

 

朝から公園に行きたいと言うので外出する。しばらく歩くと愉快なかぶり物をして、ハングル語で何か書かれたプラカードを持つおじさんを見かける。少し先の、教会で何かのイベントがやっていたようだ。新興宗教だろう。信者はみんな何かかぶっているのだろうか。教えが気になる。

 

公園でひと通り遊んでから実家へ。お昼ごはんを作ってもらう。だれかに作ってもらうのはなんて楽なんだろうと思う。ここ1週間は1人で全部頑張りすぎて残されるたびに悲しくなっていたなあ。

 

サンリオに行きたいと言うので新宿へ向かう。紀伊國屋の1階。大きいキティーちゃんがお出迎え。真っ先にポップコーンが目についたようで、これやりたい!と騒ぐ。仕方ないなあといいお金を入れるとキティーちゃんがゆらゆらしながらポップコーンを作ってくれる。どこか懐かしい感じで一緒に楽しんでしまった。

 

その後は本屋に行ったり、伊勢丹の屋上に行ったり、ガチャガチャをしたりといつもの感じのお出かけ。赤ちゃんもいるし、たいしたお出かけも結局できずじまいの春休みだったなあ、そして何より甘やかしすぎたと反省した1日。

長い1日

ときどき連絡を取る友だちから、配偶者への怒りを伝えるラインがきて始まる朝。わざわざわたしに連絡をするくらいだから余程いらいらしているのかもしれないけれど、部外者からすると果てしなくどうでもいいことなんだよなあと思いながら返信。わたしもたぶんたまに似たようなことを誰かにしているなと思いながら。とりあえず傾聴と共感をしてみるのだけれど、こういうときは何て返すのが正解なのだろうか。

 

今日も上の子は保育園をさぼる。わたしの小さいころはわたしの中にさぼるという選択肢がなかったから、惰性で通っていて小学生の頃なんて皆勤賞だった。気の向くままに休んでいる子どもが少しうらやましくなる。しかし幼稚園になったら本当にちゃんと通わせよう。

 

早めのお昼を食べ、雨が降っていたので新宿へ。あてもなく地下道などをのんびり歩く。今日もアイスが食べたいと言うのでセブンティーンアイスを食べる。なんだかこの頃食べてばかりだけれど、仕事が始まったらこんな日々も過ごせないだろうからまあいいかと思い直す。

 

なかなか時間が潰れず、本屋に行く。よりによって音の出る本を欲しがる。パウパトロールのあいうえおの本。ちょっと高いんだよなあ。騒ぐので買ってしまった。また甘やかしてしまったと思ったのだけれど、とりあえず雨のせいにする。

 

やっぱりまだ時間が潰れず、くもんへいく。行くのを嫌がるので、くもんなんかもう辞めようかねえと言ったら急に行きたがった。早期教育なんてどこまで意味があるのかわからないし、通わせるのがたまらなく億劫でわりと本心だったのだけれど、辞めようとすると行きたくなるらしい。3歳児は難しい。

 

そんなこんなで長い1日もおしまい。来週の月曜から幼稚園が始まるので、ここまでは一緒に居られなくなるはず。人といるのは苦手なのでどちらかというとほっとするが、やっぱりすこしさみしいかもしれない。

不自然な自然

5時半に上の子のもう起きるコールで始まる朝。昨日も早く寝かせすぎてしまった。

 

やりたくないことはやっつけで早く終わらせる主義なので、夏休みの宿題は最初の1週間で終わらせていたし、書き初めは書き納めになっていた。育児もどちらかというとやりたくないことに分類されるので、お迎えやら夕飯やらお風呂の時間が日々早まり、上の子は18時半には勝手に布団に入って寝ていた。夜更かしはよくないとは聞くけれど、あまりにも早く寝かせすぎるのもよくない気もするがどうなのだろう。

 

眠いなと思いながら、朝のルーチーンを終えると、今日も保育園行きたくないと言う。今日こそは絶対行かせようと思っていたのだけれど結局今日もお休みに。ここまでくると子どもと居るのもそこそこ慣れてくる。

 

どこかに出かけるのも面倒だし、なんだか毎日似たり寄ったりでたいしたことしてあげられてないなと思いながら、今日もアイスが食べたいというので新宿へ。いつもと違うところがいいと言うので、セブンティーンアイススポットを探すとme tokyoという建物が出てきたので行ってみる。

 

すごく黄色い建物で、中もすごく黄色かった。ゲームセンターのようで、プリクラがあったりクレーンゲームがあったりした。地下には新宿最大規模のガチャガチャ。あまり教育上はいいところではないなと思いながら、一緒にアイスを食べる。すごく黄色い地下一階で、もちろんガチャガチャもする。

 

たまには自然がいっぱいのところに連れて行ったりした方がいいのかなと思いながら、でもこんなにも人工的な大都会にいるとむしろ自然の方が不自然なんじゃないか、内田樹の本にも、もう自然なんて人間だけだみたいなことも書かれていたしと思ったりした。

 

幼稚園が始まる前に一度くらいはちゃんとしたところに連れて行ってあげたい。

大恋愛がしたい

そんなこんなで4月ももう5日目。今日ももちろん保育園はお休みに。

 


忍耐力の限界で、朝から少しイライラしてしまう。いっそもう幼稚園始まるまで休もうかなと思っていたのだけれど、さすがにわたしの忍耐力が持たず明日はちゃんと預けよう。育児を専業としている人たちの忍耐力には尊敬しかない。

 


お散歩に行きたいと言うので公園へ。すべり台とブランコとじゃぶじゃぶ池しかない公園なので、ひと通り遊具で遊んだらドーナツ屋さんに行くと言うので、ミスドへ。一つを半分こ。ちょうど良い疲労感でドーナツがおいしい。

 


帰って気付いたら寝ていた。生活リズムくらいはしっかりしようと思っていて、お昼寝はお昼にさせたいのだけれどまだ午前中なのにお昼寝をしてしまった。お朝寝。

 


ドーナツ屋さんに行くかわりにお昼ごはんはちゃんと食べるんだよと約束をしていたのだけれど半分以上残す。3歳児なんて約束を守れるわけがないのだけれど、忍耐力の限界なので少しイライラしてしまう。

 


その後は家でのんびりするのだけれど、なかなか時間が潰れず、少し早めに家を出て公文に向かう。再び公園に行ったり、本屋さんに行ったりして公文に行き帰宅。今日もよくがんばった。

 


ここ最近は疲れて思考回路がおかしくなっていて、3歳児と一緒にいてどうやったらイライラしないかを考えていて、きっと夢中になれる何かを見つければいいんだと思い、大恋愛でもしたいなあと考えていた。でも冷静になって考えてみると、ただ疲れているだけで、わたしに必要なのは大恋愛ではなく休息だと気づいた。明日は半日だけでもゆっくりしよう。

行き当たりばったり

なんだかんだ今日も保育園行かないと言うので結局お休みに。昨日の行く宣言は何だったんだ。

 


これといってやることもなく、徒歩5分の実家へ。大学生のころはあんなにも嫌いだった実家も、子どもが生まれてからはよく帰っている。しかし実家に帰ってもやることがない。

 


少し早めにお昼ごはんを食べて、お散歩へ。今日はミスドに行きたいと言うので東中野へ。まだあまりお腹も空いてなかったので少し公園で遊んでからミスドへ。ドーナツを1つ買って、半分にして食べる。

 


もう帰ると言っていたけれどまだ13時だし、帰ってもやることがないので昨日割ってしまった食器を買いに新宿へ。しかしまたすぐに終わってしまって、ひまだったので歩いて帰宅。

 


なんだか子どもといると生活の主導権を子どもに握られているようで行き当たりばったりの1日になってしまうなと思ったのだけれど、よくよく考えると1人で居ても計画性のない似たような1日になってしまうんだった。思えばもうなんだかいつも人生行き当たりばったりで、まあでもちゃんと計画を立てられるような人間だったら全然違ったような人生だったかもしれないし、こうやって行き当たりばったりの柔軟さがわたしの良さだったらいいなあと思ったりした。

喜怒哀楽は苦手

今日も保育園行きたくないで始まる朝。行きたくないなら休ませようと思いお休みに。午前中はコンロの修理のおじさんが来て無事復活。すごく料理が快適になった。

 


午後は大学時代の親友とその子どもと会う約束をしていたので、ちょっと遠くの公園まで歩いて会いに行く。

 


親友もわたしも、どんな環境にいても満足できないタイプなので一緒にたくさん現状を憂いていた。子育てを始めても、わたしはやっぱり子育ては苦手だなと思って保育園に預けて中途半端に仕事をして、なんだかどっちつかずだなと思いながら過ごしていた。だから1年以上、ちゃんと子育てをしている親友はすごいと言ったら、乳幼児のお世話は苦じゃないんだよねと言っていた。あんなに一緒にたくさん憂いていたのに、はっきりと苦じゃないと言える親友がなんだかかっこよかった。

 


子どもは明日から保育園に行くと宣言している。今月からは幼稚園のため保育園は契約しておらず、一時保育で預けるためお金もかかるし、今週はもう一緒に居るか、と覚悟していた。そして一緒にいるのも慣れてきてしまっていたので、行くとなるとなんだかちょっぴりさみしくなった。

 


そもそも人に感情を左右されるのが苦手だ。泣いたり怒ったり喜んだりするのは疲れる。だから上手に恋愛なんてできないし、感動すると始めからわかっているエンタメ系の映画も極力見たくない。でもそれってたぶんわたしが左右される側だから、きっと左右する側だとそんなに疲れたりしないのかもしれないなとふと思った。そして親の感情を何の悪意もなく左右させている子どもがなんだかうらやましくなった。

適度な距離感

今日は日曜日。夫は出張。保育園はお休み。長い1日が始まった。

 


朝ごはんを食べてもろもろの家事をして、ひまだったので掃除を少しするともうやることがなくなってしまう。子どもは勝手に遊んでくれているのでコーヒーでも飲む。こういう時間が上手に過ごせないから育児が苦手なんだよなあと思ったりする。ごはんの準備でもすればいいのかもしれないけれど、休日は作らないと決めているので料理はせず。

 


上の子が公園に行くというので新宿中央公園へ。保育園の友だちが居たみたいで一緒に遊んでいる。友だちの親に挨拶だけされたので挨拶を返す。人見知りなので何か話した方がいいのか悩みながら結局何も話さず。遊びを切り上げるタイミングも難しい。こんなんだからママ友がいないんだろうなあと思いながらなんとか遊びを終わらせる。

 


お昼ごはんを買って帰宅。昼食後はスーパーに行ったくらいでのんびり過ごした日曜。夫がいるといろんなところにお出かけに連れて行ってくれるのだけれど、公園に行く程度ののんびりした休日の方がなんだかんだ好きだったりする。

 


上の子は明日も保育園に行かないとごねている。こんなに人と一緒に居たのはほんとうに久しぶりだなあと思う。

 

 

もともと人との距離感を保つのが苦手なので、いつからかあまり人と深く関わらなくなってしまった。学生のころは、気づけば1人の友だちと仲良くなり過ぎて、いつも一緒に居て、でもその仲良くなり過ぎた期間なんて長続きしなくて、そのうち疎遠になってしまうことがなぜか度々あった。疎遠になってしまうのが怖くて、いつしか人とは適度な距離を置いて関わるようになった。

 


でもたぶん関わる人がたくさんいれば、1人と仲良くなりすぎることもないだろうから、広い交友関係が欲しいなとふと思った日曜日。